時間が止まっているような
ずっと会わない人とかの顔を思いだすことがちょっとあった。
大学1年生の時好きだったサークルの4年の先輩の顔とか。
彼とは、1年生の時の7月の3週目の火曜日の花火大会に行った。
この花火大会は毎年同じ時期にやっていて、この前たまたま友達がSNSに「花火大会に行った」ということをつぶやいていた。
ふと思い出してしまって、ちょっと切なくなった。
その彼とは、結局何にもなく、何にもないというのはウソになるかもしれないが、あれはきっと「何にもない」の部類に入ってしまうのだろう。。けど、
何にもなく、終わってしまった。だから、楽しい記憶だけが時間が止まったかのように、1年生の花火大会の日に紐でしばられているかのごとくそこにいる。
そしてそれはまるで、真空パックされたハンバーグみたいに、何かの拍子で思い出すから切なくなる。(今回だったら、友達がその花火大会にいったというつぶやきだ。)
「何年前の楽しい記憶を今も生きているかのように鮮明に思い出しているんだろ」とばかばかしくなる。
あと、もうあの時の先輩と同い年かーと思うと、なんか変な感じがする。
時がとまっている人は基本的に私の中では歳はとらない。彼は21歳のままでそれ以上大人にならない。
こうやって、いいことも悪いことも、ある出来事によって「真空パック」にされてしまって、脳みそのなかに保存されていくって考えると、記憶ってなんかある意味、「時」を感じさせないなと思った。
自分が老いているのは記憶の積み重ねで分かるかもしれないけど、記憶は老いない。
わけのわからない投稿だった。
明日はワークショップのお手伝いだー