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大事なことをわすれちゃいけない

このまえ、佐藤直樹さんの本で「なぜ日本人は世間と寝たがるのか」という本を読んだ。

その中の第7章に書かれてあることで印象的なものがあった。

「日本の「世間」の時間意識は、キリスト教にもとづく西欧社会とはまったく異なっている。日本の時間意識は円環的時間の中にある。正月から始まり大晦日におわる。「世間」の年間行事は、1年で完結する。西欧社会のクリスマスはキリストの生誕を祝うもので、確かに毎年繰り返されるが、そのなかにキリスト生誕以降の、2000年あまりの時間が直線的にながれている。」

ってところで、我々日本人の時間感覚は1年ぽっきりなのだ。

日本人の時間は常に「今」しかない。

 

そう考えてみると最近のあたしの行動も全て断片的で「今」や「近未来」のことしか考えられていなかった。

「今」あることに一生懸命になることで、動機を見失っていたなと。

 

みんながやってるからやるってことがあって、すごくミーハーなんだけど、それについての動機をちゃんと考えなきゃいけないのだなとしみじみ思う。

 

直感に従うのはめちゃくちゃ重要なことだと思うし、「やりたい」と思ったことにはチャレンジしてきたけど、「振り返って考察する時間」がなかったな。

これからは振り返る暇もないくらい走るのはやめて、直線的な時間のなかで、振り返りながら進むのが懸命だと思った一日でした。

 

今年の夏は、「あんたなにもの!?」ってことと、「何がやりたくて、なんでそこに興味があるのか」をちゃんと言えるようになろう。

最近なにやってるの

どもども。久しぶりに書くような気がします。

 

7月もあれよあれよという間に終わってしまうような気がしてます。昨日はあたしがインターンをしている某NPOでのプロジェクトのプレゼンがあり、そこで多くのスタッフと一緒に考えられる機会が与えられて、充実しました。

 

こんな意見もあるのか!とか、自分じゃ考えられない視点があって、また自分に今度こういうのやるときには、こういうことも考えようと思わせてくれました。

 

それで、代表の方と久しぶりに個人的なお話をする機会があって、何のことかと思いきや、就活のことでした。

 

「はなえは最近なにやってるの?」ときかれ、とりあえず答えたのはいいものの、あまり言葉にできず。。

ワークショップ作る勉強をしてる。なんで、そんなことやってるのか?

 

これ、難しい問いだなと思った。

さっきもいった、「別の見方」ができたとき面白さを感じる。自分で発見したときにわくわくする。

いろんな人が集まって対話ができるから、ワークショップがおもしろいと思うし、だからちゃんと対話ができるワークショップを作ってみたいと思ったからワークショップを作る勉強をしてる。

 

きっとこれだけでは、答えになっていなくて、これだけ言っても伝わらない。

もと真実性があって生々しい話しはどこにあるんだろ。

 

あたしはあんまりそもそも、心の声的なのを言葉にするの下手だし、めんどくさいことをさけるために適当な回答を用意してしまうことがあって、普通の表面上で会話する人との会話だけだったら、それで問題はないんだけど、深く話そうとすると見抜かれるし、見抜くような眼光のするどい人だと見抜かれる。

 

やりたいことなんて意外と単純そうだけど、単純なことばで生々しさを伝えるのは難しいなぁ。。

 

「もっと自分のやりたいことと企業がやってることを知らなきゃだね」といわれて、まぁ、ごもっともだし、そう感じる

 

でもさ、これからじゃんって話しじゃん。これから言われなくても考えるし、超成功してる人に今のあたしの気持ちなんておそらくわからないじゃんなんても思った。

 

いつだって、目標があってそれにむかって進んでいける人はきっと強いし、仕事面とかは充実した生活を歩めると思う。素晴らしいと思う。

 

でも、迷いながら頑張って考えて、神様信じて、この方向じゃない?って思った方に行くっていう人もいる。

それでもいいじゃん!

 

タスクと行為

最近の「タスク」感がハンパないです。もっと、「行為」を大切に毎日送りたいものですね。

 

自分ごとで何かができる環境に身を置く事は大事だと常日頃思っていることで、また、自分ごとにたぐり寄せる力を持つ事もめちゃくちゃ大事なことですね。

 

「タスク」をするときは、それに対して、他人事なんです。その主体性っていうのは自分から離れたところにあります。

 

なんで、最近「タスク」感がハンパないかというと、「社会人になったら◯◯できない」という考え方にあります。

 

社会人になったら、長期の休暇なくなるから、海外旅行たくさんいかなきゃ

 

社会人になったら自分の好きなことを学べなくなるから、もっと勉強しなきゃ

 

社会人になったらきっとあたしみたいなやつは行きていけないから、もっと社会に役に立つ学びをしなきゃ

 

とか、いろんな焦りや不安が押し寄せてきます。

 

完全に社会人vs大学生っという構造がなぜかできあがってしまっています。

なぜでしょうかね。。

 

いろんな社会人を見てきているからかのように思えます。

どっかで「あの人みたいな生活嫌だな」とか思ってしまってるのかもしれないし、

めちゃくちゃ強い憧れみたいな感情をもっていることは間違いないって思う事もあります。

 

あたしは今あるあたしらしい生活を送ればいいのだなとこの文章を書いてて思いました。

 

きっと、道は用意されていると思うし、それが分かるまで日々努力をし続けていればいいのです。

3日坊主じゃなさそう

なんやかんや、ブログを書こうかなっていう気持ちになりますね。なんでだろ。

でも、書くことがあんまり浮かばないなーー。

 

日曜日に教会へ行かないと、一週間が凄くながくてへとへとになってしまいますね。カタルシスなんだろうな。。きっと。

こう、なんかのんびりした気持ちになってると追われてる課題がどうでもよくなってしまいますね。

 

来週は「宇宙芸術」をテーマにした、美術展の企画書の提出。わりとわくわくしてるんだけど、どういうところで自分の領域を効果的にコラボレーションできるか、考えるところが一番の課題なのかなって思います。

 

「宇宙」

 

うちゅー。

 

あんまりぱっとこない概念なんですよね。

 

星にロマンを感じたりする人じゃないのかもしれないな。

 

星といえばですよ、野尻抱影さんですね。今年の頭くらいに読みたい作家さんを書き出したリストがありました。

 

現代の天文とメディアアートの表現と、こういう古い天文のあり方とかをこう、インスタレーションとか使って展示したらおもしろそうだな。。

古事記とかさかのぼると、宇宙、そらの記述はどんな感じになってるんでしょうか。

 

無重力空間での、音楽の演奏とかわくわくしそうだな。。。

 

宇宙教育ってどうなってるんですかね。

宇宙人は地球人なんかよりももっと文明が進んでるとしたら、そこではどんな教育が行われているのでしょうか。

完全に今日授業でみた「ウルトラマン」に影響されてしまいました。

 

考えてみると「ウルトラマン」ってみたことないかも。でも、なんか雰囲気が「MEN IN  BLACK」っぽい。

 

夜が更けて行きますね。

今読んでるのは「FabLife」って本を読んでます。

グラスルーツイノベーションの兆しが見え始めてますね。うちの大学にもファブラボほしい。

こうやって、市民工場ができたらなんかめちゃくちゃわくわくしますよ。

「教育」の価値「学ぶ」意味

なんだか梅雨って感じがしてきて、朝起きるのがつらいです。

学校休もうかどうか毎朝葛藤していますw

 

さて、昨日は授業でした。ボーダレスに生きる女社長の講演をきいて、グルワの様子を見ていました。

社長が大学生の時は不景気の絶頂にあって、キャリアビジョンが何も浮かばなかった社長は早々に就活をやめ、NYへ。そこで必死にやりたいことを探して、日本に帰ってきて企業。とざっくりいうとこんな感じの方でした。

 

印象に残っている言葉は「20代はネタをいっぱいつくったほうが、30代が絶対楽しい」

「自分で決断してきめたことは、失敗と思えるようなことでも将来絶対に消化される」

ってことでした。後者は私も感じることがよくあります。

 

妥協とかがすぐに浮かんでしまいますし、失敗するの恐いし、保険はどこかにかけておきたいし、っていう考えは浮かんでしまいます。

でも、「ネタになるじゃん」って思えば、ちょっと前進する気になれました。

 

授業のあとは、事務局に戻ってMTGをして、餃子をたべた。うまし。

 

話しは餃子からはなれますが、最近「教育」に高額のお金をかけなくても、いい授業が受けられるシステムが広まっていますよね。MOOCとかカーンアカデミーとか。

私がインターンをしているところも、無料の授業を開催してます。

いい授業=お金がとれるというロジックは必ずしも成立するものではないということにだんだん気づいてきました。

それって、価値のあるものに必ずしも金銭的な価値が付与されるという考え方が教育においては崩れてくるのかなとも思います。

財力=学力という今の現状はいいものとは到底思えないし、所得の低い人が多い国ではそれだけで国力が下がるし。教育のボーダレス化というのも着々と進んできますね。。

 

そうなってくると、今の大学教育とか、生涯学習教育って将来、ありかたが随分かわってきそうですね。

 

学ぶ価値とはどこにあるのかっていうのをふと考えました。わたしは何しに大学に通っているのか。

知識伝達の一方的な授業にあまり価値がないのではいでしょうか。でも、オムニバスの授業のようにいろんな教授が出てくるものは別の視点でものがみれるので好きですが。。

 

学ぶ価値は、誰かとの対話で生まれるものだったりするんでしょうかね。オンデマンドでできないことを追求しなきゃいけない。

 

人ができて機械ができないことを考えて仕事を作って行かなきゃいけなさそうですね。

 

ブログはじめました

ブログはじめました。中学校の時にやってた以来ですね。あんまり人には公開しないつもりで個人的な話しばかりを書こうと思います。

 

今日は「グルワで大事なこと」について最近思ってることを書こうかな。

 

グルワで大事なことは何でしょうか?

 

自分の意見を言う

相手の意見を聴く

些細な意見を大事にする

お互いを大切に思う

 

こんなところが大事でしょう。こんなところがグルワの柱になっていると思います。

大体グルワは多くて5人くらいでしょうかね。その中では基本的に何を言ってもいいんです。なんてハードルが低いのでしょうか。だから、日本人にぴったりな意見の出し合いの方法の一つなんじゃないかなとか思ってます。とりあえず、大教室で意見をいう勇者はなかなかいないですよね。私は、個人ワークとグルワは同じくらい好きです。

 

まぁ、それはさておき他にグルワで大切なことは「納得するまで話す」だと思います。

これが一番大事なアウトプットなのではないでしょうか。

誰かを説得する、または誰かに説得させられる、そんな経験が誰しもあると思いますが、その時の気持ちってなんか後味悪い。

これが、何か一緒に企画をやっている人同士で行われると、結果的に「成功していない」ことになってしまうような気がしてきました。

グルワのいいところは、「納得するまで話し合うことができる」です。

誰かの妥協が見えたら、そこからまた話しを戻して引っかかった部分から新しい打開策を見つけて行くことが大切だし、楽しいですね。この過程が学びだと思います。アウトプットなんてその過程の結果でしかない。

 

そこで、「納得するまで話し合う」にはある程度余裕を持つ必要があると思います。人数が多くなればなるほど、みんなが各々好き勝手に予定を入れてしまうと、それだけで、4人や5人で集まれる日が限られます。そうなるとばたばたして企画を進めなきゃいけない、そこでは焦りの中で妥協が生まれやすくなります。

そりゃ、期限が近づいてるわけだし、はやくアウトプット出さなきゃいけないし、そうなりますよね。。。。

だから、なるべくグルワして何かアウトプットが要求されるようなものを抱えているときは、予定をつめすぎないことと、優先順位をつけることが大切なんだなとおもいました。

タイムマネジメントもタスクマネジメントもどんどん上手くなりたいものですね。みんなでいいもの作りたいっていう思いが強いんです。中途半端なものは作りたくない。

失敗するなら本気の失敗がしたい。

っていうことです。