四字熟語キューブの紹介
【課題】
塾講師のアルバイトで小学6年生の子の現代文を教えていました。彼女は漢字特に四字熟語が苦手で、またつまらないと言って取り組もうともしない状況
【仮説】
①市販されている練習問題が穴埋め型で、答えが分からないことが続くと白紙になってしまうとそれがネガティブフィードバックになってしまい、つまらないと感じる
「四字熟語キューブ」
これは、4つの立方体を並び替えることで全部で6つの熟語に触れられるというツール
【目的】
①漢字に興味をもってもらうということ
②漢字に触れる回数を多くするということ
③辞書を引いてもらうということ
→国語の勉強では、「辞書を引く」ということが大切になってくる。
漢字を勉強している時に、意味を引く癖がつくと、読解の方にも良い影響を与える。
【このツールのポイント】
答えが分からなくてもヒントがあるので答えやすい。
回答欄が白紙にならない。
さらに、学習の効果を上げるために「意味カード」を付け加え、
そこに意味を辞書で引いて書いてもらいう。
最初の方は、キューブをアシストなくすらすら並べることは、ハードルが高いかもしれないと思い、意味カードの方に、部分的にルビをふった。
【効果】
漢字に触れる機会を増やすことで、興味が増し、結果として当初4/10くらいの得点が2ヶ月後には8/10になっていた。
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自分が気づかなかった自分のこと
昨日、ある会社の人事の方とお話しさせて頂く機会があり、色々自分が今までやってきたことや、これからどんなことをしたいのかということを話しました。
最近は、「何か具体的なことをしたいって言わなきゃだめだ」と必死になって考えてきてようやく1つみつかってそれを今回も話したら、
「あなたのやりたいと思う動機はどの要素をとっても、困っている人とか、楽しくないと思っている人のためになにかをしたいと思って行動しているよね。きっと、それが自分が楽しいことなんだろうね。だから、自分が楽しみたいと思ってやってることもどっちかというと、そういう行動を起こすきっかけは困っている人とか、楽しくないと思っている人をみて、助けたい、役に立ちたいって思ってるときなんじゃないかな。
その源泉っていうのが多分あなたの変わらないところだし、そこに強いこだわりをもってるんだと思う。
だから、具体的に何かをしたいっていうよりも、そういうマインドを持っている人たちに囲まれた会社っていう軸で選んだ方がいいかもね。
たしかに、本当にその通りであると思った。
今のインターンも、周りのひとや、その組織がやっている心意気みたいなところとか、みんなを受け入れる雰囲気とか、正の連鎖がおこってるところとか、そういうところが好きで仕事してるし、やりたいと思ったことにチャレンジさせてくれるところとか、、そういう環境が使えるところが好きなんだなと。
入る前は、こんな企画やるとも思ってなかったし、やってみたら楽しかったし、みんなと一緒にいるの好きだし。
いい環境にめぐまれてきて、尊敬する人に一杯出会えてきたのは、あたしが「思いやり」つまり、誰かと思いを共感できるところっていうところにすごくこだわりをもってきて、1つ1つ選択してきたからなんだと気づいた。
たしかに、1年の時に入っていた大学のサークルは、あたしの価値観とは真逆の組織でそれがいやだったし、自分の力では環境をかえることが不可能だと思ったからやめたんだ。
なんで、「思いやり」や思いを誰かと共感したいっておもいが強いんだろうか。
その答えは、ここでは言わないけど分かった気がした。
とにかく、なんか人としゃべってすごい整理された。
ありがとうございました
「今まででやり残したことってありますか?」
「今まででやり残したことありますか?」という質問を後輩から受けた。
あたしはちょっと考えて「ひとつもないよ、やりたいこといつもやってるから」と答えた。でもそのあとに「これからやりたいことはあるよ」といった。
「やり残した」と思うときはどんな時なんだろう。全然想像がつかないし、そもそもの思考があまり後ろ向きにものごとを考えないんだろうなと思っている。
過去は変えられないし、そんな過去のことを現在から思ってもしかたがない。
いつも神様が与えるチャンスはその時にかなっていると信じているから。
やり残したって思う人は、思ってるだけで、行動に移せないのかなと思ったりもした。
残したって考えるんじゃなくて、やるタイミングが合わなかっただけって考えるなら、これからいくらでもやる時間はあるんじゃないかなって。
過去に何かをやり残しても、まだ、今か未来でできそうだなって思うから、これからやりたいことリストに追加すればいいだけだ。
こんな後ろ向きな質問自分には合わないな。
つまんないのはいやだ
最近自分が何かアクションを起こす時はどんな時なんだろうなって考えた時に、思ったのが、
「やるべき」とか誰かのためにやろうとかそういう動機じゃなくて、
自分が一番つまんないと思っている時じゃないかなと。
あと、もっと楽しくなったり、便利になるはずなんじゃないかって思ってる時だなって感じました。
この前もインターン先で、写真の共有方法についてあたしは凄く煩わしさを感じていて、授業の写真を撮ってくれているスタッフはオフィスに常駐しているわけでもなく、みんな普通に社会人をやっているなかで、授業にきて写真を撮ってくれてそれを事務局に送るという作業があって、この時に大きいファイルのやり取りになるので、いろんな方法で圧縮してくるんですよ。。
やり方がごちゃごちゃしていたり、有効期限があったりと。。
すごくあたしにとってはやりづらいし、めんどくさくて、だからなんとかしようと思って、新しいやり方を提案したら、「それすごいいいね!」って言ってもらえて。それが結構うれしくて
既存の無料のサービスをつかってできるだけ、業務を快適にかつ、もっといいものにするってことを考えること自体もめっちゃたのしいなって思います。
それで、めんどくささが減るんだったら試してみてもいいなって思えるな。
結局なにが言いたいかって、行動を起こす動機なんて単純でいいんだなって思います。
めんどくさいとか
もっとたのしみたいとか
もっとハッピーになりたいとか
つまんないとか
自分のこういう感情を大切にしていきたいなって思います。
あとやっぱり、自分で作れる人になりたいな。
「ボタンの掛け違え」
もうこんなに月日が経っているとは!とびっくりしています。
8月4日から何があったんだろうと思うと、外の活動でいろいろあった月でした。
ワークショップを1から自分たちでデザインするというテーマで他大の人たちとグループを組んで進めていました。
「みんなが納得する」ってすごい難しいと痛感しました。私が考える納得というのは、みんなが意見とアイディアを出し合って、その中での共通点やみんなが「これすげー良いじゃん!」って思えるところにきた時が「納得する」という感覚でした。
でも、今回はそれが全然うまく行かなくて。。なんでうまく行かなかったかというと、原因の1つにその納得するの定義がグループメンバーの中でちょっと違ったこと。
1人の女の子は、歴史や舞台が好きな子で彼女の興味のあることと、他のメンバーが興味のあることがけっこうずれていました。そのことに彼女自身も気づいていたため、「自分は、みんなが納得するところが自分も納得しよう」という、どちらかというと歩み寄る感じの納得の仕方をとっていました。
どうように他の1人の女の子もそうでした。
このように4人グループのうち2人が「みんなが納得したやつに納得しよう!」と考えてる人で、残りの2人は必死になってみんなが本当にやりたいことをやろうと考えていたら、そりゃ結論でないですよね。。。って総てが終わったあとリフレクションをして対話をしているうちにわかりました。
それぞれが、どんな考えやアイディアを持っているかということを聞く姿勢は大事だし、肯定してあげて前に進めることはすごく大事で、でももっと大事なのはきっと、「今あなたはどんな気持ちでそこにいるのか?」ということと「どういう関わりかたをみんなとしていくのか?」ということをじっくり話すことも大切だなと。
こうやって1つ1つ掛け違えてるボタンはどこかと真っ暗なところで探すようなことがきっと人生でいくらでもあると思うけど、投げ出さないでちゃんと向き合いたいなと思います。
ちなみに、わたしたちはワークショップはやりませんでした。
ギリギリまで朝の4時まで毎日mtgをして、みんなの気持ちを聞いて行くうちにそれぞれがワークショップをやる意味についてじっくり考え始めていて、4人でそのツールを使って参加者に伝えたいことや、一緒に学びたいと思うことが決まらなかったからです。
ツールが目的と化してしまっていました。
でも、きっとボタンの掛け違えた状態でやっても、何かの気付きが得られるのか?といったら、やらなくても同じ反省をするんではないかなと思っていました。いや、やってしまったら、きっと反省をしたくなくなるほど後悔をしてしまっていたかもしれません。
何か決断を下すことは意味のあることで、やる!といったらとことんやるし、とことんできなかったら、やめるという決断も大事だなと。どっちにも勇気がいりますし、どっちにもすごく考えなければできない決断だと思います。
前向きに「やめる」と決断が出来る人はすごいと思います。また、絶対できそうに無い状況で、「やる」と決断できる人もすごいと思います。
大事なことはその決断に責任をもって向き合えるかどうかなのかなと思ったりします。
あたしは、これからもこういう勇気のある決断をしていけたらいいななんて思ったりしてます。
「自分ごと」
最近は眠くならず、こんな時間までおきてます。
最近「自分ごと」という言葉をよく使います。そういう言葉をつかう環境にいるからだと思います。
自分ごとのように何かをやるということを意識するということは、その意識している対象って多分「他人ごと」なんだろうなって思います。
他人ごとを頑張って自分ごとに引き寄せるって大事なことだと思うんですが、はじめから超自分ごとっていうことがちゃんと日常にあるってことが大事なような気がします。
別にそのことをやったからって誰かのメリットになるわけでもないような、でも自分だけが楽しいような、ようは自己満足ができる時間。
そういうのが趣味というのかもしれないです。
最近「意味」ということを考えていてそんなことを思いました。「意味が無い」って気づいて「楽しいから続けられる」って思えることを大事にしていきたいですね。
自分ごとのインタビュー
いやはや、20年間生きてきて割と大きな?ソーシャル界ではわりと大きなかな。メディアにのせるための記事のインタビューアーということを初めて経験しました。
学校では誰かに話しを聴くということはあったのですが、こう誰かに届けるためのインタビューってしたことがなかったです。
感想的には「難しかった」と感じたのですが、おもしろかったです。
インタビューした方も、身内だったので一緒にどうゆうことを読者は知りたがっているのだろうか?ということを考えました。
同じ場にいた人に「どうゆうインタビュー記事はおもしろい?」ときいたところ、「インタビューアの視点があったり、つっこみがあったりする、2人の視点がみえたりこだわりがみえた方が面白い」という回答が1つにありました。
私はそれまで、インタビューアというのは「黒子」に徹するものだと思っていました。そうではなさそうですね。
私はどういうことを知りたいのかといったら「生々しさ」です。
その人の熱い気持ちとか、それが超ニッチなことでもワクワクしてるってことが伝わってくるようなそんなことでした。
インタビューアは生々しい言葉を聞き出すために、表面上のきれいな話しをしてるだけではだめなんだなということを思いました。
そんな考えの過程をたどると、インタビューアが黒子になるよりも存在感をだして、「その人の視点から、インタビューする」ってほうが面白いなとおもいました。
これからまたインタビューをするとおもうのですが、その時は「自分ごとのインタビュー」をしてみたいです。